ヒゲの間から空が見える

社会福祉士の資格取得を目標に。。勉強を開始しました

My hands

前夜、母に宣言しておき
今日は早起きをして、二人で出発
なぜなら、大学の授業が1限からあるため
意を決したのです

朝日にきらめく山並みと澄んだ空気の中
到着したのは午前7時

サンダーソニア、マーガレット
イエローのトルコキキョウ
初夏のビタミンカラーな花達を供えました

風は少しひんやりと爽やかです
背中には日中の暑さを予感させる陽射しのパワーを浴び
目を閉じると、どこか高いところを翔ける鳥の声。。

この青空で、鳥と雲と遊ぶあの人の笑顔を想いました

イイ季節になったね

時が移り、この5月を迎えている私がいる
きっと何人かの友人も
それぞれの場所でこの空を見上げてくれている
哀しさや懐かしさの溶けた、澄んだ想いで・・・


戻ってから、大学の1限にも間に合い
老人福祉論や地域福祉論の講義を受け
夕方からは訪問介護に行きました

介護サービスの事業所で「給与明細」をいただき
ちょっと驚きました。。初めての給与です

私の介護が給与となったこと、なんとも感慨深かったです
講習を受けて、ホームヘルパー2級の資格が取得でき
3月下旬に先輩ヘルパーさんについてまわって教わり
ようやく一人で担当させていただく利用者さん宅が何件かできた
そんな2ヶ月未満の私の手に報酬がきた。。

講習の説明会で感じた
講師の女性の「優しく確かな手」
私の手は、あのようになれたのでしょうか

利用者さんを支えようと伸ばす私の両手は
温かく、確かだろうか
安心していただけているだろうか

恐れと悲しみに動揺し、支え方もわからず
冷えていく愛しい手を握り、擦るしか知らなかった私の手は

「誰か」を守れる手になれたのだろうか

そして
「誰かの心」をも支える手になれるだろうか

無力だったと、滑落する思い
その谷を埋めるのも
この私自身の手であると思います

この五月も、私はここにいて
空を見上げ
講義に知識を求め
笑顔や感謝に励まされて
両手を差し伸ばす

優しく確かな、私らしい力強さを探して。。

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催花の風

ハリー・ポッターと炎のゴブレット 携帯版ハリー・ポッターと炎のゴブレット 携帯版
(2006/09/21)
J.K.ローリング

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春が近いことを、まぶしい陽光に感じる今朝
先月は凍れる雪野原だった敷地も
到着してみると、残雪はまったくありませんでした

花を活けて、香を焚き、お酒を捧げる
そのいつもの語りかけにも
太陽はその明るさで彩りを鮮やかにしてくれて
そよぐ風はその温かさで薫りをふわりと舞わせてくれました

これからは下草が色を取り戻して、木々が芽吹いて
野花が咲いてゆく、成長の季節が始まる
その息吹や変化の穏やかさに気持ちを沿わせて
これから始まる生活のことを報告してきました



昨年の2月、私の中にあるのは二つの思いばかりでした
「後悔」と「無力感」

喪った命への「後悔」。
<そうならないですむ道があったのではなかったろうか>
出口のない、哀しい逡巡でした。
届きようのない過去。その暗闇に手を伸ばしても掴むのは虚空ばかり
なのに、繰り返し繰り返し、その闇を心の中に開けてしまいます

そして病気の苦しみに対して「無力」だったという落胆。
<傍に居ることしか、できなかった>
治してあげられなかった、痛みを癒してあげられなかった
苦しい体を支えることも、足りていなかっただろう
本人の体と心が抱えていた嵐の激しさを
本当にはわかってあげられていなかったと。。
理性が打ち消しようのない、現実感でした

これからの自分はどう歩いていくのか
歩いていくとしたら、生きていくとしたら
昨年からの私の選択はすべて<仮定形>で始まりました
生活を再開するとしたら
仕事をするとしたら、何を・・?
この「後悔」と「無力感」が心の大半にある私が
その私のまま、何をしていけるのか・・?

そんな私の心に勇気を与えてくれるのは
大切な人の持っていた「誇り高さ」でした
それは、例えれば野生動物のようなイメージ
困難や哀しみをぐっとこらえ、限られた時間の刻みの中
すっと首を伸ばし、つぶらな瞳をこらし
吹きわたる風の中に立つ草食動物のようでした
この誇り高き人と、心が通っていたという実感だけは
「後悔」と「無力感」で曇らせてはいけない
大切な私自身の誇りとなっていました

静かに、まっすぐに前をむいて生きていた
あの大切な人のプライドをそこなう考え方や生き方は選ばない
そう、徐々に決意して、これからの自分を考えるようになりました




□□ ハリー・ポッター4巻目の「炎のゴブレット」 □□


ヴォルデモートの、蛇のような顔が墓石の向こうから覗き込む前に、ハリーは立ち上がった・・・
杖をしっかり握り締め、体の前にすっと構え、ハリーは墓石をくるりと回り込んで、
ヴォルデモートと向き合った。


 14歳のハリーが、生まれて初めて「死」を意識する場面です。
 魔法学校で開催されている、優秀な生徒を決める試合に臨んでいたハリー。
 数々の危険な課題をクリアして、ライバルのセドリックと一緒に優勝杯を掴みます。
 この杯はそのまま試合終了の合図となり、二人は全校生徒や先生たちの喝采を
 受けるはずでした。
 
 なのに、この杯には、ヴォルデモートの魔法が仕掛けられていて
 ハリーとセドリックは味方の魔法使い(先生)達の手の届かない場所へ移動させられて
 しまうのです。そこは夜の墓場。ヴォルデモートは邪悪な魔法使いで、かつてハリーが
 赤ん坊の時にも彼を襲っています。その時に、両親がハリーを守るためにヴォルデモ
 −トと闘い、命を落としたことを、ハリーは11歳の時に初めて聞かされています。
 魔法学校に入ってさえまだ4年目のハリー。墓場に移動させられた直後にセドリックは
 あっけなくヴォルデモートに魔法で命を奪われてしまいます。シリーズ中でも、ハリーの
 身近の人物が亡くなるのは、セドリックが初めて。。両親のことはハリーはまだ幼かった
 ためほとんど記憶がなく、校長先生が教えてくれた話だけだったのです。
 
 ヴォルデモートは強力な魔法使い。そしてはっきりとハリーの命を奪う目的でいます。
 邪悪な魔法で傷や痛みを確実に負わされるハリー。魔法の飛礫を避けて墓石の間を
 逃げまどいますが、とてもかなう相手ではないこと、今回は守ってくれる者が誰もいない
 ことを実感します。数瞬後には、ヴォルデモートは自分に追いつき、殺すだろう。。
 
 はっきりと自分の死を意識した瞬間
 ハリーは自分を庇ってヴォルデモートの前で死んだ父の姿を想像します。
 父も力ではヴォルデモートにかなわないことを知っていた。
 それでも、前に立ちはだかって、真正面から立ち向かったのではないだろうか。
 そして、ハリーはこの場面、墓石の影から立ち上がりました。
 すっと杖を構え、正面から対決できるように自分から身をさらけ出すのです。

 短い時間のうちに、そして14歳という人生の中で初めて感じる「死」の恐怖。
 それに打ち勝つためのヒントを懸命に探すハリー。
 14歳の自分の知っていた「死」は話に聞いた両親の「死」だけです。
 でも、そこで語られた両親の最後の姿がハリーに決意をもたらします。
 
 顔も覚えることのできなかった幼い頃に喪った両親。ほんの短い間しか一緒に
 過ごせなかったであろう父と母が、その日々の中で自分をどう思ってくれていたか。
 記憶がないだけに、ハリーは実感がなく、その後の孤独な生活(魔法を持たない
 親戚の家でいじめられつつ育っちゃった)から、愛されてたらすご〜く嬉しいけど
 でもホントにどうだったの?と自信が持ちにくかったのではないでしょうか。。
 
 そのハリーは今回、死に向かう両親の姿とその思いを鮮烈に思い描くことになり
 そしてその二人の勇気と愛の結果、自分が生きていることを実感したのだと思います。
 両親に愛されていた。その愛はこのヴォルデモートの恐怖にも怯まなかった。
 その愛情がハリーの誇りとなり、14歳の彼を立ち上がらせたのです。
 
 そのひたむきさと、愛する人の想いを受容する、ハリー自身の優しさには
 読んでて頭が下がりました。。
 
 この巻で、ハリーの人生にはセドリックの死という悲しみが宿ります。
 そして、これからもハリーにはたくさんの困難や痛みがやってきそうで
 次巻を読むのがちょっとためらわれてたのですが、、
 でも、ハリーを囲む先生や友人たちの愛情とハリー自身の勇気を信じて
 「不死鳥の騎士団」をそろそろ読もうと思います。あとDVDも借りて。。
 
 ハリー、応援します☆そして、私も見習うね☆


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遥かな空、澄んだBLUE

猫たちを救う犬猫たちを救う犬
(1996/03)
フィリップ ゴンザレス、リアノー フライシャー 他

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早朝は粉雪が舞っていました。
少し重苦しい曇り空の下、母と車で出発。

お酒を買い、お花を選んで、向う行程
時には友達が同行してくれたり、ひとりだったり
季節の変化を山々の様子に見ながら会いに行きます

到着すると、いつのものなのか、白い雪に覆われた敷地。
さくさくと踏みしめながら、早速手がかじかみました。
上空の雲は取り払われて、薄いブルーの空と柔らかな陽光が覗く
静かで凍れる午前。
そのしんとした空気の中では、語る言葉はなぜか凝縮され
「来月はみんなで来るね」と、なりました。

昨年のこの日は、闘っていた
希望や、想いの強さのままに
それは本人にしか、本当には説明できない心であったと思いますが
私たちと共に朝を、昼を、夜を過ごすこと
私たちにとってのギフトであったその日々は
絶え間ない努力をしてくれていた、その継続であったことも頭を離れません。
宝石のように貴重な一日一日をかみしめた1月と2月
同じ名の月日が廻ってきて、その日付を過ごすのは
なんとも透き通った時間です。

笑顔を青空に見ようと顔を上げる
または、不在の違和感にテーブルに目を落とす
母と食事に入ったお店で
ふと会話が途絶えると、この透明な時間が流れます
好んでたメニュー、座る位置、3人で来たシチュエイション
今日、窓ガラス越しに見上げた空は
遥かな高みにあり、クリアな水色をしていました
失ったから、心が追いかけるのではないと思います
出会ったから、心が会い続けていると思う。



□□「猫たちを救う犬」とは、著者のフィリップ・ゴンザレスさんと
 その愛犬のジニーがNYで野良猫たちの世話をする実話です。
 このゴンザレスさんとジニーが初めて出会うシーンは印象的です。

 ゴンザレスさんは、スチームパイプの取り付け工として働いていて
 かつての世界貿易センタービルなどのビル建築に携わっていました。
 しかし、ある日仕事中に彼は大きな事故に遭います。
 パイプを切断する大型機械の横を歩いた時に、回転中のパイプに
 作業着がひっかかり、そのまま機械に腕を引き込まれてしまったのです。
 
 「あとになって同僚たちから聞いたところによると、回転するパイプといっしょに
 グルグルと五回まわって、頭を床に五回ぶつけながら・・」
 
 脳震盪と巻き込まれた腕の手術をして、後日退院したゴンザレスさんは
 右腕の機能をほとんど失い、頭痛に苦しむ体になった自分に愕然とします。
 
 「それまでの私はすべてを手にしていた。良い仕事について、たくさんの金を
  稼ぎ、活動的な人生を送っていた。それがいま、一度きりの恐ろしい事故に
  よってすべてを失ってしまった」

 収入が途絶え、人生に絶望して、彼は家に引きこもってしまいます。
 そんな身の回りにも構わなくなったゴンザレスさんを、ある日友人が叱りとばし
 これからボランティアの預かっている犬をもらいに行こうと促します。
 ゴンザレスさんは、なんでこんなつらい時(退院してまだ一ヶ月)に。。
 犬なんて、自分みたいなのに世話できるわけが。。と抗議しますが
 友人はそのまま彼を動物愛護ホームへ連れて行ってしまいます。
 
 その時の自分の様子を、ゴンザレスさんは「自己憐憫」「敗北主義」「憐みの対象」
 という言葉で表現して、マイナス思考ぶりを正直に説明しています。
  「片腕しかないのに、どうやって犬の世話なんか」とぶつぶつ言いながら
 友人に引っ張っていかれるゴンザレスさん。
 そして、そこでジニーという犬と出会います。
 
 職員に案内された檻。ドーベルマンが一匹と、もう一匹小さな犬が奥にうずくまり
 こちらに背を向けていました。ゴンザレスさんは、ドーベルマンに興味を持ち
 職員の話を聞いていると、その小さな犬が急いで立ち上がり、よたよたとゴンザレス
 さんの前にやってきました。シベリアンハスキーとシュナウザーの混血らしい
 「へんてこりん」見たこともない犬。けれども彼女(一歳の雌)は・・・

 「魅力的な顔をしていた。輝く目、白い眉毛とひげ、知的で、好奇心旺盛で愉快な表情」

 卵巣摘出手術をしたばかりで、ウエストには包帯を巻いていて、まだよたよたと
 足もとのおぼつかないジニー。しかしジニーはゴンザレスさんの近くまでやってきて
 差し出された手をせっせと舐めます。
 ゴンザレスさんは自分とこのジニーとの共通点(大きな手術をしたばっかり)にキュンと
 します。でも、職員にジニーと散歩してみてはと勧められると、飼う気はないからと
 断ります。ゴンザレスさんはもし飼うとしてもドーベルマンのように番犬になるくらいの
 大型犬がいいなと思っていたのです。
 なのになぜか職員と友人は一斉にジニーとの散歩を主張。ゴンザレスさんはしぶしぶ
 ジニーを連れ出します。

 このちっぽけな犬、ジニーは、家賃滞納で住人の追い出されたアパートの
 クロゼットの中から発見されました。飼い主に置き去りにされていたんです。
 痩せ衰え、脱水症状を起こし、飢えて死にかけながら、三匹の子犬に授乳して
 いたジニー。動物愛護ホームに運ばれて食事を与えられるようになっても
 ジニーの体はうまく栄養をつけることができなくなってしまっていて、痩せたままに。
 それでも、職員が子犬の面倒をみてくれたり、食事と水を与えられていることに
 好意と感謝の念を表すジニー。

 「ここにいるのは、人間の残虐さと無関心さによって悲惨なめに遭いながら
  その人間に対してこれっぽっちの悪意をいだかない動物なのだ」

 「明るく、さわやかな、三月の晴れわたった日で、もうじき冬が終わって春が近づいて
  くるのだと実感できるような気候だった。犬は綱につながれて、わたしのかたわらを
  よたよたとゆっくり歩いていたが、遅れまいと努力しているのは明らかだった。
  だが、それほどの努力は要らなかっただろう。わたしのほうも歩くのは一苦労だった
  のだ。どちらも全身に痛みを抱えていた。なんというコンビだろう!
  だが、犬は檻から出てさわやかな空気にふれたのがうれしかったらしく、
  その喜びがわたしにも伝わってきた。顔にあたるそよ風が心地よかった」

 世界のすばらしさを感じるジニー。人間への信頼を表現するジニー。
 その姿にゴンザレスさんはメッセージを感じます。
 まだ対処する準備ができていないが、次第に受け入れるだろう、あるヒントを。。

 心も体も満身創痍だったゴンザレスさんはジニーとこうして出会い
 たった45分後には自宅へ帰る車の中で寄り添います。
 ジニーにとってゴンザレスさんは心のままに信ずべき人
 ゴンザレスさんにとって、ジニーは「ヒント」。絶望から歩みだす一歩。。


□□自分たちには選択の及ばない何かのタイミングがあるように思います
   私たちの心の歩みに、道を選ばせる、出会い。

  心は寄り添い続け、語りかけていく、明日も、これからも。。

  来月で1年になります
 
 










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風に舞う雪

今朝はとても気温が低く、少し粉雪が舞っていました。
気温は3℃から1℃へ、車で向かう毎に変化していきました。

春を迎えても、夏を感じても、秋に彩られても、寂しさは癒えませんが
冬はことのほか、多くのことを思い出してしまいます
病気と闘い、消耗した体には、いかに寒さがつらかったことか
実感し、今は文献によって再認識している日々です

途中、供えるお花やお酒を買いに立ち寄り
いつもの通り、お花は母に任せて、先にお酒を選んで戻ってきたところ
長々と店員さんとお花を選んでいる母の姿が。
それをショップのウィンドウ越しに眺めていたり
身を切るような寒風の中でお線香を焚きつけている時に
墓前を指して「毛布を巻きつけてあげたいようだねぇ」と
つぶやくその声を聴いていると
暗く落ち込んでいきそうになるココロに明かりが灯る気がします。

誰かがこの大切な人にココロを傾けてくれている、そのことが
私のココロも慰めてくれます。家族、お友達への感謝に満たされます。
私の涙や苦しみは、私自身のものですが、同時に
みんなと、悲しみを分かち合っているコトも忘れないでいたいと思っています。


☆☆今年の夏、様々な本を手にとっていたところ
  それぞれ別の文献から、同じエピソードを読むという経験がありました。
  釈迦に関するエピソードです。

 インドに暮らすキサーゴタミーという若い女性が
 産んだばかりの子を数日で亡くし、悲嘆にくれます。
 なんとか我が子を生き返らせてほしいと
 亡骸を抱えたまま町をさまようのです。
 気の毒に思った人が
 彼女に森で説法をしている釈迦に会ってみてはと教えます。
 大勢の人が取り囲んで、静かに説法に聞き入っている輪の中に
 キサーゴタミーは駆け込んで、釈迦に懇願します。
 自分の赤ちゃんを生き返らせてほしいという彼女に
 釈迦は、町に戻り、白い芥子の種をもらってきたらかなえようと約束します。
 ただし、その芥子の種は今まで一度も死人を出したことのない家からのもので
 なければならないと忠告するのです。
 キサーゴタミーはすぐさま町へ戻り、一軒一軒たずね歩きます。
 どの家の人も、キサーゴタミーのために種を分け与えようとしますが
 「このお家には、死んだ人はいないでしょうね」と彼女が確認すると
 「いや、今年の初めにおじいさんが亡くなったよ」とか
 「去年、娘がお産で死んでしまった」との答えが返ってきます。
 何10軒も聞いて回りますが、どの家でも、誰かが亡くなっているのです。
 疲れて、落胆してふらふらになったキサーゴタミー。
 しかし、はっと彼女は気付きます。
 この世には、なんと大切な人を喪った家が多いことかと。
 皆、そういった死別の悲しみに耐えながら生活を営んでいるのだと・・。
 釈迦は、自分の悲しみに苦しむキサーゴタミーに気付いてほしいコトがあって
 芥子の種を探させたのです。

 多くの人が、死別の悲しみを味わっている
 人は生だけではなく、病、老、死という苦難をあわせもっている

 その後、キサーゴタミーは真っ直ぐ森に引き返して
 釈迦のもとで尼僧の道を歩むことになったとのこと。

☆☆キサーゴタミーが理解したこととは、何でしょうか
 かけがえのない我が子を喪った、その悲しみは想像を絶するものだと思います
 愛しいこの子が、なぜ死ななければならないのか、そんなことは本来おかしい。
 悲しみと同時に、不条理を感じて彼女は苦しんだことと思います。
 そのキサーゴタミーに、釈迦が教えたかったことは「人は皆死ぬのだ」ということでしょうか?
 「だから、その悲しみはよくあることなのだ」と言いたかったのでしょうか?
 そういう教えを受け入れて、彼女の心は軽くなるのでしょうか?

 きっと、この釈迦の指示が意味するところには
 もっと深い同情があり、それ故にキサーゴタミーの心に響いたのだと私は思います。

 愛する人の死という悲しみの重さに喘ぎながら家を訪ね歩くキサーゴタミー
 そこで同じく死別の重みを抱えた人々に出会った時
 彼女の心は、相手の悲しみを我が事のように感じ、共に涙したのではないでしょうか。
 自分の痛みを通して、キサーゴタミーはより他者の痛みを身に引き寄せて感じています。
 自分の悲しみのために流されてきた彼女の涙が
 他者の人生の苦しみにも同調して溢れ出している。
 そんな映像が目に浮かんできます。

 そういった深い同情や祈りが、釈迦が行っている教えであり
 彼女が理解したことなのでしょう。

 キサーゴタミーは今や、<世界>であり、個人でもあるのではないでしょうか
 彼女の悲しみは消滅することはなく、さらに他者の悲しみを共に抱えて
 生きるもの全てのために祈りを捧げようと思うに至ったのでは。
 
 人の心の痛みって、たやすく昇華するものではないこと
 人と出会い、相手のことを大切に思う毎に
 私たちはより悲しみ、共に涙する。
 そんな風になんだか思います。
 
 16日は、いろんな人の顔が目に浮かぶ日です。。
 
 みなさん、健やかに☆
 
 

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冬気を醸す山々

今年2月16日に、大切な人を看取りました。
それからは、16という日付は
自分の思いから逃げないように気をつけたり
大切な人達を忘れない日、慈しむ日となっています。

今朝、母と車で向かいました。
約30分の距離ですが、町と市をひとつずつ越えます。
進むうちに山々の紅葉が深く、鮮やかになっていきました。
気温は4℃。自宅付近より2℃低いのです。

今年も、やはり11月の山々は豊かで
冬気を秘めた明るさに満ちている。
訪ね入る、私の心だけが昨年までと違っている

「11月の陽射しには透き通った美しさがある」

その光の煌きは、以前の仕事を通して実感したものでした。
燃え立つモミジ。黄金色のカラマツを縁取る、晩秋の光
木々の間から足元に伸びてくるその光の帯
宣伝用の写真撮影に立ち会っていた私は
いつも寒さを忘れて、光と景色に見とれていました。
そして、この光を捉えた写真たちには
風に流れる落ち葉の乾いた音、空気の冷たさも
写しとられていたのを覚えています。


☆今日のブログは、長くなります☆

原作:夢枕獏、作画:岡野玲子の漫画「陰陽師」の9巻で
平安京の内裏(帝の住む屋敷)が炎上する事件があります。
殿上人の源博雅は、和楽器の優れた演奏者で
琵琶や和琴、笛たちをこよなく愛しています。
ので、帝が各国から取り寄せた名器が灰になってはたまらないと
側近が止めるのも聞かずに、燃え盛る屋敷に飛び込みます。
平安の寝殿はもちろん木造なので、建物はあっというまに全焼。
まだ煙るその焼け跡、心配する家来達
持てる限りの楽器と譜面を抱えて、担いで、懐に突っ込んで
煤だらけになって戻ってきた博雅。

「あとはみんな・・燃えてしまった」
海を渡って伝えられた楽曲や、楽器の数々が
平安の雅を体現していた寝殿が、政の中心の場所が
炎によって、一夜で炭となってしまった。

そのあっけなさと、失ったものの多大さに呆然とする博雅を
陰陽師で博雅の友人である安倍清明は
愛護山に行く用事があるので一緒に行こうと誘います。

どーして博雅が同行しなければならないかは
いつも本人に説明があまりない、そんな二人です。
実は「必然」や「通過儀礼」によって、博雅は呼ばれているのですが☆
今回も、博雅は乱れた思いのまま
それでも、なんか無心に清明について行きます。

愛護山のふもとに着き、牛車を降りた博雅は
自分が、深く見事な紅葉の中に立ち降りていることに驚愕。
その紅葉の荘厳さに「山が燃えている」と彼はつぶやきます。

和歌を作るのはダメなのですが、管弦とお酒は大得意の博雅。
何かと感激屋で、すぐ「じ〜ん」と涙する感受性の強い博雅。
桜が咲けば、唄い出し
月を見ては、外に駆け出して笛を吹く・・
廻る季節をそんな調子で愛でていた博雅でしたが
こうして再び迎えた秋の山々の前で
今年の紅葉に包まれた博雅は
すご〜くハートブレイクな顔をします。

「あんなことがあったのに」
目の前の美しさに傷つけられたかのような、そんな顔です・・。

平安京の中心が燃えるなんていう大事件が起こってしまったのに
かけがえのないものが、いっぱい消えてしまったのに

自分の世界は一変したけれども
<世界>の時間はよどみなく流れ、廻るのか

□□ 今読み返すと、博雅のこの驚愕がよくわかります。
    これは、世界の不変に対してでもあり
    そして、変わってしまった自分自身への驚きでもあると思います。


次の科白と涙、清明の言葉にも共感できます。

「何もできなかった どうにも止められなかったのだよ 清明」
火傷した手で顔を覆い、泣き崩れる博雅の科白です。
親友ですが自分より身分の高い博雅の泣き顔から目をそらし
そっぽを向いている清明。「あたりまえだ」と言い放ちます。

「あたりまえだ 身ひとつで火事など止められるものか」
 
その清明の横顔は、他所を見つめる目は、
なに泣いてんだ博雅、とも
この言葉で少し楽になってくれ、といういたわりにも、見えます。
そして、清明は博雅よりも高次のまなざしを持つ身であることにも思い至る・・。

そう、このシーンで二人は愛護山に来ていますが
清明の目的やお仕事はこれから頂に上ることにあります。
博雅がへたり込んでしまったふもとは
頂を見つめる清明にとってはまだ「通過点」なのです。

とはいっても、清明は博雅をせかしません。
静かに、博雅の感情の側に佇みます。
すぐには独りでがんがん行ってしまいません。
(次号では行っちゃって、結局博雅はおいてけぼりなんですが)

<ふもと>の博雅が聞き容れるのを願い、
同時にあまり期待せず、強制する気はないまま
<頂を見据える>清明は自分の次元の言葉で博雅に語りかけます。
「壊れるということはな よいことなのだよ博雅
 終わるということはよいことなのだ
 炎をくぐって 新しく生まれかわるのさ 」

□□ この言葉を耳にしたくない時期ってあります
   そして、自分なりに容れることのできる時もきます。

二人は友人であるが故、たとえ互いの時間軸が合わない場合でも
敢えて、自分の真摯な言葉を「言上げ」るのでしょう。

11月の光と彩りに浮き立っていた自分は
きっと今も私の中にあります。
きらめく思い出を御簾の向こうにしまいたい自分も
やはり同じ「私」です。

16日を迎える「私」は
家族や友人やそして自分のガッツに支えられてます☆
みんなの言葉は身につけたり、タンスにしまったりしてます。(タンス貯金?)
来月、来年、来季、時は廻ります。
今はそんなことがようやくワカッテキタところです。

まもなく、冬ですね。

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